LOGIN想像していたよりも、はるかに、はるかに酷い。
これが、自分が去った後の王都の姿。
これが、薬を失った街の末路。「私が……私がいれば……」
膝から力が抜けそうになる。
だが、ゼノヴィアスの腕がしっかりと支えてくれた。
「どこに行けばいい?」
落ち着いた低い声には、彼なりの優しさが込められていた。
シャーロットは震える手で前方を指差した。
「まずは……中心の王宮へ……」
「分かった」
ゼノヴィアスは静かに頷き、王宮へと方向を変える――――。
近づくにつれ、異様な光景が目に飛び込んできた。
王宮前の大広場――かつては式典や祝祭で賑わった場所。
今は、無数の白いテントで埋め尽くされていた。まるで、戦場だった。病という見えない敵との、絶望的な戦い。
「あぁぁぁぁ……」
シャーロットの喉から、悲鳴のような声が漏れた。
テントの隙間から見える光景――――。
苦しそうに横たわる人々。 泣き叫ぶ子供。 疲れ果てた医師たち。涙が、頬を伝って落ちていく。
「大丈夫だ。薬は来る」
ゼノヴィアスがシャーロットを抱く腕に力を入れ、そっと囁いた。
その言葉に、シャーロットは顔を上げる。
「そ、そうよね……そうよね!」
涙を拭い、前を向く。
「あ、あそこへ行って!」
指差した先には、他より一回り大きなテントがあった。
本部と書かれた旗がはためいている。 ◇ 恐る恐る、テントの入り口から中を覗き込む。「新規十八名! 収容先は!?」
「テントに空きなんかあるわけないだろう!」
「じゃあ
「いやぁ、悪い悪い、東京の|恵比寿《えびす》だったか……」 レヴィアは小さな足で、商店街の小径をタタタと小走りに進んでいく。「なんで大阪の新世界なんて行っちゃったんですか!?」 シャーロットは白いワンピースの裾を押さえながら、涙目で後を追った。 せっかくの晴れの日なのに、汗だくになってしまっている。「あそこは|恵美須《えびす》町って言うんじゃ! 紛らわしいったらありゃしない!」「普通、間違えませんって! みんな待ってますよぉ……」 シャーロットの声が震える。「せっかくのお祝いなのに……」 【|黒曜の幻影《ファントム》】を捕獲した功績を称える祝賀会。 まさか主賓の自分が遅刻するなんて――――。「大丈夫じゃ、焼肉は逃げんよ!」「そういう問題じゃないんです! もう……」 角を曲がると、目指す店が見えてきた。 こじゃれた木造二階建ての焼肉屋。 黒板にはチョークで丁寧に描かれた、美味しそうなメニューの数々。 炭火の香ばしい匂いが、通りまで漂ってくる。 二人は肩で息をしながら店に飛び込んだ。 古い木の階段が、ギシギシと音を立てる。 炭火の香りと笑い声が、二階から漏れ聞こえてくる。 シャーロットは胸の高鳴りを抑えながら、個室の扉に手をかけた。 その瞬間――――。「無礼者! お主、何をしてくれる!!」 雷のような怒号が、扉の向こうから轟いた。「……へ?」 シャーロットの全身が、稲妻に打たれたように硬直する。 この声は――。 この懐かしい響きは――。(まさか……まさか……!) 震える手で、そっと扉を開けた。 心臓が早鐘を打つ。手のひら
祭りの喧騒も、人々の動きも、風さえも。 すべてが静止した世界で、女性だけが必死にもがいている。「くそっ! |万界管制局《セントラル》か!」 女性は拘束されたままふわりと宙に浮かび上がり、光の拘束を振り払おうと、激しく身をよじる。 この凍りついた世界で、動けるというのは――。 女性が管理者権限を持っている証しだった。「させるかぁ!」 誠の咆哮が、静寂を破った。 あちこちの宙が裂け、その向こうから|万界管制局《セントラル》の精鋭たちが、まるで忍者のように現れる。 手にしているのは、虹色に輝く特殊な装置。 それらが一斉に起動し、空間に幾何学的な光の紋様を描き出す。 ヴゥゥゥン……。 光でできた巨人の手が、アルゴを掴んだかのように見えた。 刹那――――。 ぐはぁ! 彼女の体が、凄まじい勢いで地面へと叩きつけられる。 容赦ない衝撃が、広場に響いた。「今だ! 確保! 確保!」 号令と共に、特殊な拘束具を手にスタッフたちが四方から飛びかかる。 一人がアルゴの腕を押さえ「確保ぉ!」、 一人が脚を封じ「確保ぉ!」、 一人が胴体に覆いかぶさる「確保ぉ! 確保ぉ!」。 まるで統制の取れた狩人たちが、獰猛な獣を押さえ込むかのような光景。「ぐぁぁぁぁ! 離せ! 離せぇぇ!」 アルゴは獣のような叫び声を上げた。 次の瞬間、彼女の体から黒い霧が噴出する。「ぐはっ! 吸うな!!」「くぅぅぅ……」 アルゴの最後の抵抗であった。 しかし――。「無駄だ!」 誠が新たな拘束装置を投入する。 それは生きているかのように、グルグルとアルゴの体に巻き付いていく。 腕に、脚に、胴体に――銀色の帯が、幾重にも幾重にも。 そして――――、まるでミイラ状になり、
『いやまぁ、我々にはこんな作戦、思いつかないからねぇ……』 誠は苦笑いを浮かべた。『上手くいくといいんだが……』「ぜーーったい、上手くいきますって!」 シャーロットは力強く断言する。「誠さんだって、トマトのない世界でしばらく暮らしたら、禁断症状出ると思いますよ?」『あー、まぁ……食べたくはなるだろうなぁ……』「ほらほら! ふふっ、【|紅蜘蛛の巣《トマト・トラップ》】大作戦、開始ですよ!」『オッケー! 俺たちは密かに監視してるから頑張って! グッドラック!』「ちゃんと捕まえてくださいよ! グッドラック!」 やがて、フードコートに人が集まり始めた。 家族連れ、若いカップル、老夫婦――皆、祭りの雰囲気を楽しみながら、思い思いの屋台へと向かっていく。 しかし――。「美味しいオムライスですよ~! 真っ赤なソースが美味しいですよ~!」 シャーロットがいくら声を張り上げても、人々の反応は冷たかった。 サンプルを一瞥して、顔をしかめる。 真っ赤なソースを見て、驚いて首を振る。 そして足早に通り過ぎていく。(あぁ……) シャーロットは口を尖らせた。 予想通りとはいえ、やはり寂しい。自慢の料理が避けられるのは、料理人として心が痛む。「あのぉ……」 若い男たちが恐る恐る近づいてきた。「これは何なの?」「あ、これはですね」 シャーロットはかごに山積みにしていた真っ赤なトマトを一つ取り、最高の営業スマイルを浮かべる。「この赤い野菜を煮込んだソースを使った料理なんです」「何この野菜……、甘いの?」 男の一人が顔をしかめた。「いや、甘いというよりは酸っぱい……かと」 確かに果物なら真っ赤になれば甘いものだが……。「酸っぱいの!? ちょっとグロいね」「まるで血みたい」「俺、から揚げんとこ行ってるから」「あ、俺もから揚げにしよ!」 あっさりと背を向けられる。「まぁ、そうなるわよねぇ……」 シャーロットはため息をつく。「狙い通りなんだけど、ちょっとムカつくわ」 シャーロットはキュッと口を結んだ。 ◇ 開場から二時間――――。 売り上げは、完全にゼロ。 周りの屋台が次々と料理を売りさばく中、シャーロットの屋台だけが取り残されている。(くぅぅぅ……【|黒曜の幻影《ファントム》】どころか、一人も来ない……。こ
「田舎の親が倒れちゃって、急遽行かなくちゃならないのよ……」「あらら、それは大変ですね」「そうなのよ。でもこんな直前に取りやめたら迷惑かけちゃうじゃない? 誰か切り盛りできる人を探してるんだけど……」 すがるような視線が向けられる。「良かったら、お願いできない?」「へ? 私がですか!?」 シャーロットは目を丸くした。「カフェを開くんでしょ? この街を知るいい機会にもなるはずよ?」 店主はニコッと微笑む。 出店をを……出す……? トマトがないこの世界でオムライスを出せば、間違いなく大成功するだろう。 店主の期待にも応えられる。 でも――――。(そんな悠長なことしてる場合じゃない) 自分の使命は【|黒曜の幻影《ファントム》】の捕獲。 出店なんて出している暇は――。 その時だった。 シャーロットの中で、何かがチリッとスパークした――――。(え……? ……待って) 思考が、急速に回転し始める。(トマト……?) 心臓が、ドクンと大きく脈打った。(そうよ……【|黒曜の幻影《ファントム》】だって、元は|万界管制局《セントラル》の職員なんだから、トマトの美味しさを知ってるはずだわ!) そして、この世界にはトマトがない。 もし、ルミナリア祭でオムライスを出したら――――。「そうよ!」 シャーロットは弾かれたように立ち上がった。「これだわ!」 驚く店主の手を、両手でがっしりと掴む。「やります! やらせてください!!」 瞳が、希望の光でキラキラと輝いた。(聞き込みで見つけられないなら
そんな中、八百屋の店先で一つだけ些細な発見があった。(やっぱり……) 色とりどりの野菜が山と積まれた中に、あの赤い宝石のような姿はない。(この世界にも、トマトはないのね……) シャーロットの顔に、寂しい笑みが浮かんだ。 脳裏に浮かぶのは、『ひだまりのフライパン』の看板メニュー。(もしここで『とろけるチーズの王様オムライス』を出したら……) ふわふわの卵に包まれたケチャップライス。 とろりと溶けるチーズ。 そして何より、トマトの酸味と旨味が凝縮された真っ赤なソース――――。 きっと、この世界の人々を驚かせ、虜にするだろう。(って、そんなこと考えてる場合じゃない!) 慌てて頭を振り、妄想を追い払った。今は捜査に集中せねばならないのだ。 ◇ 半日かけて市場を回り尽くしたが、成果は完全にゼロ。 シャーロットは噴水の縁に腰を下ろし、顔を両手で覆った。(どうしよう……本当にどうしよう……) 初日でこの有様では、先が思いやられる。 誠さんに何と報告したらいいのだろう? 『何の成果もありませんでした!』なんてどんな顔で報告したら――――。 シャーロットはぎゅっと目をつぶった。(聞き方が悪いのかな……) いや、そもそものアプローチが根本的に間違っているのかもしれない。(もし私が【|黒曜の幻影《ファントム》】だったら……) 目を閉じて、想像してみる。 この中世ヨーロッパ風の大都市。石畳の道、運河、白亜の建物。 システムをハックしながら、人目を避けて生きる日々。 孤独で、誰とも深く関わらず、でも人恋しさは消せない。どこへ行く――――?「あっ
『でもまぁ』 誠の声が、急に優しくなる。『その天然ボケが、聞き込みには合ってそうだから期待してるよ。はっはっは』「て、天然ボケって……」 シャーロットは頬を膨らませた。『いやいや、いい意味でだよ』 誠は慌てて付け加える。『明朗快活、のびのびと自分の道を行くキミには、我々にない視点があると思うんだ』 温かい励まし。『システムに詳しい我々は、どうしても理詰めで考えてしまう。でも、キミなら違う角度から【|黒曜の幻影《ファントム》】を見つけられるかもしれない』「そ、そうですよ!」 シャーロットの顔が、パッと明るくなった。「私、絶対に【|黒曜の幻影《ファントム》】を見つけて……」 グッと拳を握りしめる。「私の世界を取り戻すんです!」 あの三分間の記憶が、胸を熱くする。 彼の温もり、優しい声、そして最後の約束――『ひだまりのフライパン』で、また会うのだ。『ははは、その意気だ』 誠も笑った。『まずは、その先にある市場からね。朝市の時間だから、人も多いし、情報も集まりやすいはず』「ラジャー!」 シャーロットは敬礼のポーズを取った。 そして、中世ヨーロッパ風の編み込みが施されたカーキ色のワンピースの裾を整える。それは田舎から来た純朴な娘――中身は神の力を操る元転生カフェ店主――完璧な変装だ。(【|黒曜の幻影《ファントム》】を見つければ、それだけでゴール!) ふんっと鼻息を荒くする。(なんて簡単なお仕事! 今日中に決めてやるんだから! ゼノさん、待っててね!) キュッと口を結ぶと、シャーロットは意気揚々と大股で歩き始めた。 ◇ 石畳の道の先には、色とりどりのテントが立ち並ぶ市場が見えてくる。 野菜や果物の山、香辛料の匂い、魚を売る威勢のいい声